TEL.089-924-4507
〒790-0811 愛媛県松山市本町4-1-6
醤油餅は、慶長から松山に伝わる和菓子です。
松山藩祖の一人である久松定勝が、家臣の繁栄を祈って分け与えたのが始まりとされています。
町家で広く食べられるようになったのは元禄の頃とされており、米粉と醤油で作ったものを上巳(桃の節句・雛祭り)の際にお供えするのが
松山の定番となってゆきました。
明治の初期、初代・白石ハナが、それまで各家庭で作られていた醤油餅に初めて「あん」を入れたところ評判となり、醤油餅専門店として開業しました。
そして明治十六年、後の二代目となる白石ハル(写真参照)が生まれたのをきっかけに、この年を創業年として定めました。
当時は、作り手の顔がすぐ見える店先で、蒸し上がったものを一つ二つ、そのまま売るという形でした。
年末などの繁忙期には、家族総出で朝から晩まで作業していたそうです。
大正、昭和、平成、そして令和と時代が進むにつれ、変わりゆくものと変わらないものがあります。
初代が創めた「あんこを入れた醤油餅」は、今ではたくさんの人に昔から変わらぬ味として親しまれていますが、
その時代ゝに合わせた少しの変化を加えています。もちろん広告や販売方法など、日々進化するべきことも多くあります。
その中で唯一、創業当初から変わらないものが一つだけあります。
お客様の笑顔を想像してつくることです。
もっと多くの人に広めたい、その想いが強くなるほどおろそかになる部分も出てきます。
しかし、現代の多様化した食に慣れた子供たちが、素直に「おいしい」と笑顔になってくれることを思い浮かべながら、
これからも白石本舗は醤油餅をつくり続けます。
ずっとファンの人も、これからの人も。
「おひとつ、どうぞ」
1867年松山市生まれ。松山中学にて同学年の正岡子規らと親交を深めたのち、新聞社へ入社。
新聞記者の傍ら俳句を学び、1897年に月刊俳誌「ほとゝぎす」を創刊する。
後に松山市議会議員などを務め、同市初の名誉市民となる。90歳没。
1897年に海南新聞社員の柳原極堂が創刊。正岡子規、高浜虚子、河東碧梧桐などが選者であった。
拠点を東京へ移してからは高浜虚子が継承し、のちに夏目漱石が「吾輩は猫である」「坊っちゃん」を連載。
他にも泉鏡花や森鴎外、挿絵に竹久夢二など、著名作家が携わる。
現在も東京でホトトギス社から発行され続けている。